自家移植という選択 #20
2026.09.15

再び脳腫瘍が見つかり、私はもう一度、抗がん剤治療を受けることになりました。
そして、その先の治療として医師から提案されたのが、
「自家造血幹細胞移植」
でした。
正直に言えば、最初に聞いたとき、
「自分の幹細胞を自分に戻して、本当に大丈夫なのか?」
という疑問のほうが先に出ました。
「自分の細胞で、本当に復活できるのか?」
私が一番引っかかったのは、ここでした。
私はすでに血液の病気である悪性リンパ腫になっています。
その自分の身体から造血幹細胞を採取して、強い抗がん剤治療をしたあと、再び自分の身体に戻す。
説明を聞きながら、素人なりに疑問が湧きました。
「病気になった自分の身体から採った幹細胞を戻して、本当に新しい血液を作れるのだろうか?」
理屈を説明されても、最初はなかなか納得できませんでした。
むしろ、不安のほうが大きかったと思います。
それでも、私に提示された治療は自家造血幹細胞移植でした。
いろいろ考えましたが、最終的には日本の医療機関で、ここまで私を診てくれた先生を信じて治療を受けることにしました。
「もし自分の幹細胞でうまくいかなかったら?」
それでも、私には一つ心配がありました。
「もし、自分の幹細胞を戻しても造血がうまく回復しなかったら、どうなるんですか?」
その先の選択肢についても、先生から説明を受けました。
状況によっては、適合するドナーを探して、他の人から造血幹細胞の提供を受ける「同種移植」という方法も検討する。
親や兄弟、子どもなど家族についても適合性を調べ、ドナー候補になる可能性がある。
そんな説明だったと記憶しています。
その話を聞いた私は、
「最悪の場合は、弟に頼めばいい。」
そんなことを言いました。
もちろん、簡単な話ではありません。
適合するかどうかも分からない。
提供する側にも負担があります。
できることなら、家族を巻き込みたくない。
私にとっては、あくまで最後の手段という感覚でした。
「私のを使っていいよ」
ところが、この話を兄弟にすると、反応は私が思っていたものとは違いました。
弟だけではありません。
妹も、
「必要なら私のを使っていいよ。」
という話をしてくれました。
その時は、やはり感じるものがありました。
普段、兄弟でそんな話をすることなんてありません。
照れくさくて、「ありがとう」なんて改まって言うような関係でもありません。
でも、自分の命がかかったとき、
「必要なら自分のものを使ってくれ。」
と言ってくれる。
兄弟って、ありがたいな。
素直にそう思いました。
病気になって初めて見えるものというのは、確かにあります。
その一つが、私にとっては兄弟の存在でした。
でも、できれば頼りたくない
ありがたい。
本当にありがたい。
だからこそ、私は逆に思いました。
「できれば、弟や妹には頼りたくない。」
自分の治療のために、家族に身体的な負担をかけたくありません。
同種移植そのものにも、自家移植とは異なるリスクがあります。
だから私の中では、
「まずは自分の幹細胞でいく。家族に頼るのは、本当に最後の最後。」
そう決めました。
家族が「助ける」と言ってくれたことは、私にとって大きな安心でした。
でも、そのカードはできるだけ切りたくない。
それが私の本音でした。
『はたらく細胞』を見て、「これか!」
そんな頃、映画の『はたらく細胞』を見ました。
芦田愛菜さんが演じる人物の治療を通して、血液の中で何が起き、治療によって身体がどう変わっていくのかが映像で描かれていました。
それを見ながら、
「ああ、俺が受ける治療って、こういうことなのか。」
と、初めてイメージすることができました。
専門用語で説明されるより、映像や漫画になると圧倒的に分かりやすい。
「映像ってすごいな。漫画ってすごいな。」
素直にそう思いました。
もちろん、映画を見たから移植を決めたわけではありません。
ただ、よく分からなかった治療が「見える」ようになったことで、不安が少し減ったのは確かです。
そして、抗がん剤が効いた
移植に向けて抗がん剤治療を続けました。
私は前回、メトトレキサートで思うような結果が出なかった経験があります。
ところが今回は違いました。
1クール目で、腫瘍が半分以上縮小しました。
「今回は効いている。」
はっきりと分かりました。
これは私にとって大きな希望になりました。
そこから、
1クール。
2クール。
3クール。
そして4クール。
治療を重ねるごとに腫瘍はさらに縮小していきました。
4クール目を終えたころにはかなり小さくなり、先生も移植に向けて十分な手応えを感じていたようです。
そして、いよいよ移植の日程が決まりました。
11月中旬。
私の中では、
「Xデイが決まった。」
そんな感覚でした。
最初は、
「自分の幹細胞で本当に大丈夫なのか。」
そう疑っていた私が、最後は先生を信じ、自分自身の幹細胞に賭けることにしました。
そして、もしもの時には、
「自分たちがいる。」
と言ってくれた弟と妹がいる。
そのことも、どこかで私を支えてくれていたのだと思います。
いよいよ私は、自家造血幹細胞移植へ向かいます。



